芸能

川地民夫現在は死去 戦後の食糧難で石原裕次郎の少年時代に朝ご飯を一緒に食べていたからから!

ウルトラマンティガでは防衛チームの総監役を演じ日活のアクション映画や、故菅原文太さんと共演した東映「まむしの兄弟」シリーズなどで活躍した俳優の川地民夫(かわちたみお)さんが脳梗塞のため、神奈川県横須賀市の病院でなくなりました。79歳でした。俳優になったきっかけが少年時代の故石原裕次郎さんと朝ご飯をたべたなかだったからというのはどういことだったのでしょうか。調べてみました。

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川地民夫妻の河地レスリーさんに看取られる

昭和の銀幕スターがまたひとり旅立たれました。

川地さんは2週間前に逗子市内の自宅で倒れた。ソファに座っていたが、夫人が声を掛けても反応がないため、救急車で緊急搬送。そのまま一度も意識が戻ることなく、10日に夫人や親友に見守られて死去した。60年来の友人の男性(77)は「苦しむことなく、眠るように息を引き取った」と明かした。

引用:スポニチアネックス

スポニチアネックスの記事によりますと、通夜は2018年2月15日午後6時、葬儀・告別式は2018年2月16日午後1時から神奈川県逗子市久木1の2の6、逗子二葉会館で営まれるとのことです。

一般の方も多くなりましたが、このところ芸能人や有名人の方も亡くなると家族で葬儀を執り行われる、いわゆる「家族葬」が増えてきているイメージですが、お通夜が公表されているのは久しぶりな気がします。

神奈川県逗子市でバーをされていたこともあり、近所の方をはじめバーの常連さんや芸能人までたくさんの人が葬儀に訪れるかもしれませんね。

ただ、先日偶然逗子の方へ出掛けましたが場所によっては道が大きいわけではないので混雑が予想されます。公表されてはいるものの入場に規制があるかもしれませんので、ご注意ください!

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石原家が隣に住んでいた!

俳優の川地民夫(かわちたみお)さんを語るのになくてはならないのは、逗子の住んでいた家の隣に少年時代の石原裕次郎・慎太郎一家が北海道の小樽から引っ越してきたことがきっかけで、故石原裕次郎の勧めもあって関東学院大学工学部を中退し俳優業に転身しています。

少年時代とはいえのちのスターになる石原裕次郎・慎太郎さんたちが隣に住んでいたなんてすごい事ですね。

とても微笑ましいエピソードがテリー伊藤さんとの対談にありました。

引用記事はこちら

記事の日付をみると、2017年9月23日となっています。とてもお元気なお姿が画像に残っています。本当に突然に脳梗塞を発症され亡くなられたのだろう感じました。

テリー そもそも裕次郎さんの家の隣に住んでいたのが、デビューのきっかけなんですよね?

川地 ええ。そもそも石原家が、小樽から僕の家の隣に引っ越してきたんですよ。かなり古い話になるけど、うちの親父は、昔の横須賀海軍病院の薬局長だったんですが、戦後は米軍の病院になっちゃってね。そうすると、僕の家から病気が出ちゃいけないっていうので、米軍が食料を送ってくれるんですよ。

テリー へぇ。

川地 当時、食べるものなんてないじゃないですか。だから、朝になると俺の家は6人兄弟になっちゃうんですよ、慎太郎も裕次郎も、飯を食べに来るから(笑)。まあ、ずっとそんなつきあいだからね。

朝になると「6人兄弟になっちゃう」っていう表現をなさるところがチャーミングですよね!

テリー伊藤さんとの会話形式の記事を読んでいますと、往年のスターであったにも拘わらず対応が横柄ではなく言葉の端々に相手に対する気配りややさしさを感じました。

そんな俳優の川地民夫(かわちたみお)さんだからこそ、とってもハンサムだけではない人柄が故石原裕次郎さんの勧めで俳優の道に進まれたのでは?と思いました。

もちろん、故石原裕次郎の勧めがあったからといって、その後は川地民夫(かわちたみお)さん自身の努力と運によって道が切り開かれたと思いますので、チャンスを生かすことができたのは素晴らしい事ですね!

ご冥福をお祈りします。

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