ミュージシャンで俳優の萩原健一(はぎわらけんいち)さんが亡くなられましたね。
ショーケンの愛称で呼ばれた萩原健一さんというと、私のイメージではドラマ「傷だらけの天使」のオープニングと晩年に再婚された嫁の冨田リカ(とみたりか)さんでした。
2011年の2月にお二人は再婚されて、たった8年の短い結婚生活となってしまいましたがお幸せだったのでしょうか。
調べてみました。
もくじ
亡くなる前まで仕事をしていた
傷だらけの天使のオープニング
ショーケンの愛称で呼ばれた萩原健一さんというと、私のイメージではドラマ「傷だらけの天使」のオープニングでした。
学校から帰ってくると、たまに夕方の再放送を見ていました。当時でも古いドラマだなというイメージでしたが内容は覚えていません。
今とは違ってドラマの内容が結構ハードだったので、怖くていつも途中で見れなかったのです。
でも、このオープニングだけはおしゃれで大人な感じがプンプンしたので見ていました。
ドラマ鴨川食堂
2016年にBSプレミアドラマで、萩原健一さんは忽那汐里さんのお父さん役で出演されました。
以前は怖い役が多かったですし色々な事件も起こされていたので怖いイメージでしたが、鴨川食堂の撮影当時は66歳で改めて見ると、表情が丸くなっていて渋くてカッコいい姿は、年齢を重ねて若い頃が思い出せない芸能人がいる中で流石だなと思いました。
セレブ婚が垣間見えた(見せた?)萩原リカのブログ
人生は、一度きり。
その時間は、短し。
だから、後悔しないよう生きる。
加速している体感時間に、追い越されないよう前を向いて。
私らしくいることが、私を幸せにしてくれる。
萩原リカオフシャルブログ
萩原健一さんが亡くなられてから読むと、奥様の覚悟が感じられますね。
萩原健一さんと再婚された萩原リカさん。
40歳を過ぎてからモデルを始められた時は冨田リカ(とみたりか)さんでした。
きっと冨田リカさんのお名前の方が知っている方が多いと思います。
私はかの文豪、林真理子さんのずいぶん昔のエッセイで冨田リカさんの事を知ったように記憶しています。
その冨田リカさん、現在は萩原リカさんのブログを読んでいたら、萩原健一さんと歩んだ8年間がとても充実したものだったことがわかりました。
ブログ

ブログは萩原健一さんと萩原リカさんが結婚された2011年2月から始まっています。
初めて数年は萩原健一さんの事をパートナーとか家族という表現を使っていますが、だんだん「主人」という表現に変化していきます。
旅行のお話
食事のお話
美容のお話
ご主人の仕事に同行のお話
オススメのお話(コスメや雑貨など)
が主な内容です。
萩原健一の活動報告
萩原リカさんのブログでは途中から、熱心に萩原健一さんの活動状況が綴られています。

芸能生活50周年を迎えたことや

芸能生活51年目は、新たなスタートとして初の作詞・作曲の書き下ろし新曲を3曲リリースすることも紹介されていました。
いつも帯同してサポートしていることも綴られています。
萩原健一との闘病生活
闘病のことは公表されていませんでしたので、ブログにも「闘病」という文字や表現は一切出てきません。
しかし、萩原健一さんが亡くなって改めてブログを読んでみますと、萩原リカさんが奮闘していたことがよくわかりました。
手料理の理由
例えば、最初のうちは外食が多かったようですがだんだん手料理の画像がふえています。
萩原リカさんのブログを読んでいて気づくのは、とにかく野菜をたくさん食べていらっしゃいます。
何故かな?と思っていたら、次のことが書かれていました。

そこで我が家は、一年通して身体を冷やさず、たくさん取れるよう
茹でたり、蒸したりなど、火を通した野菜を多く頂きます。
今日は、オリーブオイル&ニンニク、唐辛子で、一つ一つの野菜に火を通します。
時間はかかるものの、野菜そのものが甘く柔らかくなるので、食べ易くなり、
内臓にも負担をかけないので、やっぱり温野菜はいいですね。
萩原リカオフィシャルブログ
包み隠さず最期という文字を使っているところに、萩原リカさんの萩原健一ファンに向けての隠しメッセージのような気がしました。
1日1食
1日一食の食事法(^ω^)
今日は蕎麦メニュ〜。中略
1日一食と言っても、他に全く食べないわけではありません。
午前中に、しっかりした食事を一食とれば、
夜へ向かい、ちょっと小腹が空いた時、
ちょこっとスイーツや果物、食べたいパン、お刺身などなど、極少量でね!
ストイック過ぎると、長続きしないので、食べる時間帯や品、量のリズムを考え
習慣づけるといいですよ(^_^)☆しかし、それ以上に、多くの人に夢や希望、エネルギーを与えている。
それを喜びとする主人は、67歳にして半世紀も努力し続けている。
毎回が最期になるかもしれないと、きっとどこかで思いながらも、その一瞬に命を注いでいる。
創作にも種類があるが、今の日本に足りないものは、希望や夢、そして人の温かさだ。
それを壊す物書きや行いがあるとするなら、それらは悪しき創作といえよう。
人は、今を生きている。
過去ではなく、この瞬間を。
萩原リカオフィシャルブログ
食べ物を消化すること自体が体に負担をかけると聞いたことがあります。
体調を維持するために、1日1食を心がけていらっしゃったのかな?と思いました。
野菜ソムリエだった
野菜ソムリエの資格を取ったとき、沢山の苺を食べ比べたけど、苺って実は果物でなく野菜になるんですね〜
「果実的野菜」と呼ばれ、野菜だけど、お店では、果物売り場に置かれているというわけ(^_^)b![]()
さらっと「野菜ソムリエを取った」とブログで書かれていますが、そのことが萩原健一さんにとってとても心強かったのでは?と思いました。
我が家の野菜消費量はもの凄く、最近それに慣れた主人も、外食でサラダメニューを注文するときは、二人で三人分はオーダーしないと足りなくなりました〜(笑)
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ここでも、野菜を食べることに慣れたという萩原健一さんのエピソードや
生姜は、免疫力アップや、抗酸化作用もあり、体もポカポカ温めてくれるから、冷えやむくみを改善し、脂肪燃焼でダイエット効果にも最適(^_^)b
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生姜は女性特有のお悩みを解決してくれるから萩原リカさんも愛用しているのかな?と思いましたが、萩原健一さんのお身体を思ってのことだったのかもしれません。
萩原健一さんの一言
このところ、外食が増え野菜が恋しくなり、今日はササッと胡麻和えを作りました〜(*^o^*)
春インゲンと、小松菜を茹で、100%胡麻ペースト、昆布醤油で和えるだけ。
食感と風味を出す為に、すり白胡麻を更に混ぜ合わせ出来上がり〜(o^∀^o)
春の景色〜
「やっぱ、家の飯は一番うまいよ!」
と、そんな主人の言葉が私へのご褒美☆忙しくなると、健康管理には一層気をつけ、元気な顔で仕事場に行けるよう、私も陰ながら頑張らないとねo(^-^)o
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萩原リカさんは元々はお料理をあまりされなかったようですが、「やっぱ、家の飯は一番うまいよ!」なんて言われたら頑張っちゃいますよね。
再婚は萩原健一の遺産目当て?
50歳を過ぎてから、毎年誕生日に確認する。
大切な家族の為に何をしてきたか?何ができるのか?
女性の顔は、色香が創るのでなく、心の豊香が加齢美となる。
また一年、我が心を育てよう。。。
萩原リカさんには萩原健一さんと結婚する前に、別の人との結婚・離婚歴があります。
芸能界の大御所萩原健一さんと結婚することで周囲の雑音はすごかったと思います。
露骨に遺産目当て?と言われることもあったでしょう。
でも、お二人が結婚されてから始まったブログがなくなる直前まで更新されていたところからもわかるように、最後まで現役を貫きたかった萩原健一さんを精一杯サポートされていたことがわかります。
ブログには海外を優雅に旅している様子も描かれていますが、仕事にも帯同されています。何より食事をしっかりと作っていらっしゃいますし、萩原リカさんの美貌も健在です。
いくら美人に生まれてきたからとはいえ、日々のメンテナンスを怠っていては保てませんし、愛する萩原健一さんのためにも美しくありたいと思う心意気がブログからも漂っていて素敵だなと思いました。
まとめ
萩原リカさんのブログは日本語で書かれていることが多いですが、萩原健一さんの晩年は英語で書かれていることが多くなっていました。
英語を勉強しているとも書かれていました。
I met him in 2009 for the first time.
10 years go by since then.
I’m thankful to spend ordinary days.
I wish. I want to moment to last forever.
直訳しますと
私は2009年に彼と初めて会いました。
それから10年が経ちます。
私は平凡な日々を過ごせることに感謝しています。
私は望みます。
私はこの瞬間がいつまでも続いて欲しいと願っています。
こんな感じでしょうか。
何かのきっかけで憧れの大スターが目の前に現れても、普通なら挨拶を交わして終わってしまいます。
でも萩原リカさんはそのチャンスを掴み、結婚もして8年という月日を過ごされました。
ただの興味本位やお金のとか名声が欲しいからという理由で毎日を過ごすことなんてできないと思います。
そういうのが見えてしまえば、萩原健一さんの方からさよならを言い渡されたでしょう。
そう考えると、萩原リカさんが過ごして来た8年の重みってすごいですよね。
一般人とはいえの〜んびり暮らしている私は自分の生活をしっかり見つめなおさなきゃなと反省しました。
ご冥福をお祈りします。