小さい頃社会の授業で習った熊本県水俣市で発生した公害の一つ「水俣病」を題材にした「苦海浄土(くかいじょうど・くがいじょうど)」の作者石牟礼道子(いしむれみちこ)さんはジアのノーベル賞といわれる「マグサイサイ賞」を受賞するなど活躍していた小説家でしたが、近年ではパーキンソン病を患い、急性増悪のため熊本市内の介護施設で2018年2月10日に亡くなりました。90歳でした。どんな方だったのか調べてみました。
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水俣病とは?石牟礼道子さんの画像とプロフィール
まずは水俣病からおさらいしてみましょう。
熊本県水俣市にあるチッソ水俣工場は、工業排水を水俣湾に排出していたが、これに含まれていたメチル水銀が魚介類の食物連鎖によって生物濃縮し、これらの魚介類が汚染されていると知らずに摂取した不知火海沿岸の熊本県および鹿児島県の住民の一部に見られた「メチル水銀中毒症」である。環境汚染の食物連鎖で起きた人類史上最初の病気である。
日本の高度経済成長期に発生し、「公害の原点」ともいわれる。また工業災害における犠牲者の多さでも知られる。当初は原因が分からず「奇病」と呼ばれていたが、地名を採って「水俣病」と呼ばれるようになった。原因が解明された後は、同様の公害病の呼称にも用いられた。水俣病、第二水俣病(新潟水俣病)、イタイイタイ病、四日市ぜんそくの4つは、四大公害病と呼ばれる。
引用:ウィキペディア
工業災害の死数では世界で2番目の被害規模だということです。いかに大変な公害だったかがわかります。
そんな水俣病を目の当たりにして、代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品を生み出しました。
1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれた。家業は石工。生後まもなく水俣町(現・水俣市)に移り、水俣実務学校(現・水俣高)卒。代用教員を経て、58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。詩歌中心に文学活動を始めた。
引用:毎日新聞
朝日新聞のインスタから引用しました。
独特な言い回しは「道子弁」といわれ、文芸・思想界に大きな影響を及ぼしたと言われています。
73年、「苦海浄土」など水俣病関連の作品で「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年、「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。02年に発表した新作能「不知火」は04年に水俣湾埋め立て地で上演されるなど全国的な話題になった。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・別巻1)が刊行された。
引用:毎日新聞
ノーベル賞に近いといわれている作家の村上春樹さんだけではなく、素晴らしい作家がここにもいらっしゃったのですね。
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代表作の「苦海浄土」は何と読む?
毎日新聞によると
人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土(くがいじょうど)」で水俣病を告発し、豊穣(ほうじょう)な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を問い、自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた作家の石牟礼道子
と記載されています。
しかし、調べてみると読み方が2つにわかれることがわかりました。
講談社では「くがいじょうど」と読み仮名が書かれています。

引用:講談社
河出書房では「くかいじょうど」と読み仮名が書かれています。

たとえば、「日本」を「にっぽん」と読むか「にほん」と読むかのようなイメージでしょうか。
以前、どちらが正しいのかということを検証しているテレビ番組を見たことがありますが、どちらも正しいという結論だったと記憶しています。
今回の場合もどちらも正解なのかもしれません。
作者石牟礼道子(いしむれみちこ)さんはどちらで読んでいたのでしょうか。
ご冥福をお祈りします。